2007年 06月 27日
『ドクトル・マブゼ』第1部
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6月21日、学士会館に於いて、澤登翠師匠の活弁公演。

ドイツ表現主義時代の映画のひとつとしても、知名度の高い1922年版のマブゼ君。
怪奇なのか犯罪なのか今ひとつわからないながらも、フリッツ・ラングの名前に惹かれてビデオを輸入した作品。
ところが、興味津々で見始めたのはいいものの、意外なほど少ない英語字幕は読むのも必死ながら、意外なほど物語が把握できないというもどかしさ。
マブゼ君の手下の多さほどに主要人物は多くはないものの、マブゼ君の多彩な変装も相まって、人物相関はおろか、どれが誰やら混乱してしまう始末。
そして、頭が混乱すれば睡魔が訪れるのは自然の摂理。
まるでマブゼ君の催眠術に堕ちるがごとく、知らぬ間に座椅子の背もたれを倒してしまうのでありました。

そんなわけで、とぎれとぎれながらも全編は見ているのですが、何しろ1部と2部を合わせて4時間に手が届こうかという長さ。
記憶にとどまっているのは、爛々と輝くマブゼ君の目玉に、みんなでテーブルを囲んでいるシーン、壊れたマブゼ君の奇怪な幻覚ぐらいとお粗末なもの。
今回の活弁公演は、この作品を理解するための重要な機会となるのであります。

とまあ長い前口上はいつものことながら、社のある京橋から神保町の学士会館までは、地下鉄で2駅乗り換え1回。
これはすぐに着けるかなと思いきや、歩く距離の長いこと長いこと。
おかげで上映開始に間に合わず、貴重な冒頭部分を見逃してしまいました。

さてさて、肝心のマブゼ君は、心理学に長けた催眠術師にして詐欺師。
人の遠隔操作なんかしちゃって、それはテレパシーではないかいな、なんてこともやってのける怪人物。
そして彼の一番の芸当は、メイクのシーンや活弁がなければ、それがマブゼ君だとわからなくなってしまうこともあるほどの、見事な変装。
ただし、彼の目的にして唯一の楽しみである犯罪は、単なる物欲や征服欲ではなかった。
人を、社会を、その手で操ることこそが、マブゼ君にとって至上の快楽。
今日も高名な紳士や老人になりすまし、株式市場や有閑金持ちを騙し眠らせ陥れては、途方もない金品を巻き上げるのである。

そんなところへ現れた御曹司エドガー・フルは、彼にとっては恰好のカモ。
マブゼ君の催眠術に操られた彼は、カード賭博で莫大な借金を抱え込んでしまうが、そこはそれ金持ちの息子。
凝りもせずにせっせと怪しげな遊び場へと足を運んでくれなきゃ、物語が進まない。
そんなフル君をさらなる深みへ落とし込まんとする、マブゼ君の部下にして愛人のカラ・カロッツァ、明晰な頭脳と強靱な精神でマブゼ君を追い込まんとするフォン・ヴェンク検事に、知性と美貌を兼ね備えたトルド伯爵夫人を交え、一大捕り物絵巻が展開されるのであった。

しかし、今回は第1部のみの公演。
トルド伯爵夫人危うし!魔の手に落ちた夫人の運命やいかに!…で次回8月公演に続くのでありました。

澤登師匠の活弁は、私にとって実にわかりにくかったこの物語を、これほどまでに理解させてくれる見事なもの。
しかも、その情報量の多さであるにもかかわらず、無味乾燥な説明調になることなど微塵ありません。
これもひとえに、作品への深い理解と、観客への深い愛情のなせるわざ。
このあたりは、上映後のトークタイムで存分に語られています。
マブゼ君となって客席をもその術中に誘わんとする澤登師匠は、まさしく活動写真そのものとなって語りかけてくるのですなぁ。
幻想主義映画独特ともいえる、不安定な直線で形作られたセットも相まって、我々はいともたやすくその術中に堕ちてしまうのでありました。
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by cthulhu_dune | 2007-06-27 14:23 | 映画・映像


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