2008年 06月 27日
第599回無声映画鑑賞会
『映像は話しを水増しできるか』
~もしくはチャップリン映画は無言であるがゆえにチャップリン映画たるのか~
なぁんてお題は私が勝手に考えた冗談ですが。

今回の演目は、『チャップリンの恋のしごき』、『チャップリンの番頭』、F.W.ムルナウの『サンライズ』の3本。
チャップリン2作は桜井麻美、サンライズは澤登翠師匠の活弁。

チャップリン映画といえば自身の監督主演と相場が決まっていますが、映画デビュー当時1914年の作品である『恋のしごき』は彼の監督ではなく、『小さな放浪者』としての独特のスタイルがまだ決まり切っていません。
余談ながら、業火と悪魔に翻弄されるチャーリーの妄想シーンに、そこはかとなくメリエスを感じました。
『番頭』は『恋のしごき』より2年後の作品で、監督主演はチャップリン。
こちらは放浪者スタイルとなっていますが、少々アクというか毒が強い作品。
ことに有名な、質草として客が持ち込んだ時計を目の前で壊すシーンは、異常であるがゆえのおもしろさのため、悪意ともいえる意図を感じてしまいます。

まあそれはそれとして、時代はトーキーとなっても、サイレントにこだわりを持ち続けたチャップリンの作品は、第三者の説明が不要なまでに完成されてしまっているので、実は活弁をも寄せ付けない無声映画。
今回の2作のうち『番頭』がこれに当てはまるので、解説調が特長ともいえる桜井さんとはやはりそりが合わないのか、どうにもちぐはぐ。
話術としては見事な語り口であるものの、話芸としての押しの弱さを感じてしまうのでありますなぁ。
また、うんちくや小ネタは、チャップリン映画には逆効果かもしれません。

ムルナウの『サンライズ』は、凡庸ともいえるストーリーを冗長なまでに映像で水増しした作品。
田舎の若者が都会の女に誘惑され、邪魔になった奥さんを殺そうとするものの思いとどまるという物語にも関わらず、フィルムの大半がよりを戻した夫婦の都会遊覧紀行に割かれているという驚きの構成。
途中にあるいくつかの出来事はなんの伏線にもなっておらず、都会の女の存在意義も最初と最後だけ。
しかも、合成を駆使した映像や、『メトロポリス』もかくやと驚くほどに豪華な遊園地のセット、『ファウスト』の悪魔が出てきそうなほど大スペクタクルな嵐のシーンなど、どうにも本筋とは違うところで凝りまくっています。
田舎と都会の距離が、ちょっと路面電車で行き来できる程度というのもどうかと思うぞ。
ムルナウの作品は『ファウスト』と『ノスフェラトゥ』だけ観ておけばいいや、というのはあながち冗談ともいえないかも…。

にもかかわらず、澤登師匠の活弁は毎度ながらに見事なもので、実はこの活弁なくしては語れない作品なのかもしれません。
あと、ジャネット・ゲイナーは安達祐実に似ている(笑)
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by cthulhu_dune | 2008-06-27 13:59 | 映画・映像


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