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2007年 12月 11日
活弁公演 in ふれあいサンデー
 小春日和というほどでもないが、寒の切れ間の日差しも暖かな師走の9日。昼下がりの町田駅に降り立った私たちを出迎えてくれたのは、方向感覚がどうにも定まらない町田の繁華街だった。簡単ながら携えていた地図と、交番前の地図とを見比べ、危うく正反対に歩き出すところだったりしながらも、数多く見られる老舗の乾物屋をのぞき込み、町田紀行のついでに寄りたかったいくつかの店舗も発見しつつ、会場の町田市民フォーラムに到着。

 開演の2時までにはまだ一時間ほどの間があったが、とりあえず受付時間を確認。1時に受付開始だというのでしばし館内をうろちょろしていると、準備中の弁士・斎藤嬢と、楽士・三沢嬢に出くわしたり。ヤァヤァコレハコレハ、カクカクシカジカ、実は1時半の会場なのであったということで、ちょいと昼食を取りに繁華街へ。

 しかし、さすがに昼食時。ハンバーグに吸い寄せら、オムライスに心惹かれるも、いずこの食堂も待ちが出ていたりして、へたをすると会場に間に合いそうにもない。ここは一つファーストフードにしようと、ロッテリアで数量限定の何とかいう高級チーズバーガーのセットにすると、これが思いのほか旨かった。が、どうにもフライドポテトは食べきる前に飽きちゃうのだなぁ。

 よい時間になったので市民フォーラムに戻り、ホールに入場。毎度ながら弁士かぶり付きの席に陣取り、うつらうつらしていると開演時間。斎藤嬢、三沢嬢共にグレーでシックな出で立ちで登場。これは先ほど合ったときと同じなのだが、『オペラの怪人』の時のような派手なドレスを期待していたらしいカミさんは「地味だ~」とちとがっかりしておった。『血煙高田馬場』に『ロイドの要心無用』という演目に、ド派手なドレスはどうかと思うが。それに、これが普段着だとしたら十分に派手だと思うぞ。いやまあ、あのお二人ならそれもなきにしもあらずですわオホホホホ…?

 さて、肝心の本編。まるで10月品川の宿の仇討ちのように同じ演目なのだが、弁士マイクの音響がよいこともあってか、いつにも増してパンパンと弾けるように響き渡る活弁。これに呼応するように、ピアノの緩急強弱も冴え渡り、安心してスクリーンに釘付け。ただ、あんまり釘付けになりすぎると、実は舞い踊っていたりするやもしれない弁士と楽士を見逃してしまうので、これでなかなか気が抜けない。フィルム、弁士、楽士の三つ巴に、観客も加わっての大乱闘なのだ。

 そのほとんどを安兵衛が駆けるだけという、10分にも満たない短編『血煙高田馬場』は、弁士も楽士もひたすら突っ走る。全編早口言葉のような活弁もさることながら、本作でユニークなのは、やはり劇伴。古い時代劇によくあるテケテン三味線ではなく、三沢嬢オリジナルのアップテンポなモダンジャズ。

 おっと先にお断りしておくが、私はジャズはそれなりに好きなものの、まったくもって詳しいわけではないので見当違いのことを書いているかもしれないのでご了承を。何はともあれ、この劇伴によって『チャンバラ』が『CHANBARA』になるのである。この唐変木がローマ字にしただけじゃねぇかと言われれば、はいその通りなのだが、モダンな雰囲気に一変したチャンバラは、私にはこうとしか表現しようがない。

 『ロイドの要心無用』は、都会で一旗揚げようと意気込んでみたのはいいものの、田舎の婚約者に変な見栄を張るもんだから、ちっともうだつの上がらない男のコメディー。他力本願で一攫千金をねらうつもりが、自らまいた種のおかげで自分で一攫千金にのぞむ羽目になる、ロイド眼鏡にカンカン帽でおなじみのハロルド・ロイド君は甲斐性無しのくせに憎めないのですなぁ。

 ちなみに、実に意地の悪いことをいうと、この当時の優れたコメディー映画は、弁士どころか字幕無くしてもストレートに楽しめる作品が多い。チャップリンがとことんサイレントにこだわったことを思い出せば、さもありなんとうなずけるだろう。そのため、活弁がこれらのコメディー映画をより盛り上げられるか、単なる添え物に終始するのかは、まさに弁士の力量次第なのではないかと思う。

 果たして、弁士・斎藤嬢の運命やいかにっ!などとおバカなことがいえるほど、この問いに対する答えは決まっている。何度も書いていることだが、斎藤嬢はスクリーンの中に入り込み、登場人物たちと共に時に笑い時に涙しながら、決して観客を置き去りにすることなく活弁をふるうのだから。もちろん、一言一句間違えないというわけにはいかないが、この独特の雰囲気に飲み込まれる楽しみは、なかなかほかでは味わえないはずだ。

 また、元々音声がないとはいえ、劇伴だけはないと寂しい、というよりも睡魔に襲われるのがサイレント映画。実はこの劇伴が重要な割にくせ者で、既存の曲を作品のイメージに合わせて組み合わせるのが一般的だと思う。しかし、選ばれた曲に統一感がない程度なら大目に見られるが、ものよっては単なるクラシックの垂れ流しというひどいものもあったりする。もちろん、見事なオリジナル曲のものもある。

 そこで、キネマ・コラボレーションの大きな楽しみの一つは、三沢嬢オリジナルの楽曲にある。品川で聞いたロイドはスイングが前面に出ていたと感じられたが、今回の町田ではもう少しポップでデキシーランドのような雰囲気。曲調の感じ方には体育館とホールという、場所が持つ雰囲気の違いが大きいのかもしれないが。もちろん、場面によって何かを予感させるようなスイングも効いていた。

 さらに圧巻は、ロイド君がビルをよじ登るクライマックス。ここで弾かれた、重厚で勇壮なクラシック風の楽曲が、五感にずしんと響く響く。これと、軽快なモダンジャズとの切り返しに繰り返しは、映画の顛末がわかっていてもワクワクさせてくれるのだ。それにおそらく、早弾きの譜面はマシンガンのような音符の嵐だろうと思う。もう、矢も盾もたまらんっ!

 右耳は活弁、左耳は劇伴、目はスクリーンと弁士と楽士をウロウロ、身体がいくつあっても足りませんな。といったところで、長くなりすぎたのでレビューはぶった切り。このあと、町田紀行のもう一つのお目当てだった、インディアンジュエリーのココペリ、アートボックスのヴェラスを回り、カミさんはピアスや帽子をお買い物。斎藤さんの実家居酒屋『藤』でふぐちりにかぶりつき、満腹満足で帰途についたのであった。
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by cthulhu_dune | 2007-12-11 16:15 | 映画・映像
2007年 12月 02日
やって来た来たプロジェクター
友人のKAZさんの感想を参考に、意を決してオーダーしたものの、品薄でしばし待たされたプロジェクターセット。
今週半ばの発送予定が、今朝届きました。
セッティング自体は至極簡単なので、早速鑑賞会。
まず掛けようと思っていたのは映画の父リュミエール。
なぁんて殊勝な文化人気取りではなく、元祖トリック映画の我らがジョルジュ・メリエス。
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しばし気分はロベール・ウーダン劇場へとトリップ。

メリエスの短編は完全に私の趣味なので、次はカミさんリクエストで、トム君の『宇宙戦争』。
なにせ、本気でプロジェクターをほしがっていたのはカミさんだし(笑)
大スクリーンでボエーボエーと吼えるトライポッドも迫力満点。
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5.1chのスピーカーにつないでみたものの、センタースピーカーがプロジェクター側にしか置けない状況なので、セリフが真後ろから聞こえてなんだか変な気分。
昼飯もすっかり忘れてしまいましたが、センタースピーカーの配線変更と、ついでにリージョンフリーデッキをつなぐべく、ちょいとお買い物。
でも、帰ってきてから観たのが『吸血鬼ドラキュラ』だったりして。

いやぁ、メディアはデジタルなれど、スクリーンに映し出しているというだけで雰囲気たっぷり。
こりゃはまるわ。

ちなみに、買ったのはこれ。
一番安価なのでもよかったんだけど、実際に見比べると画質の差が歴然としちゃったので、がんばってしまいました(笑)
http://www.epson.jp/products/dreamio/emptwd10/index.htm
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by cthulhu_dune | 2007-12-02 23:10 | 映画・映像
2007年 10月 31日
H.P.LのDVD2篇
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『Case of Howard Phillips Lovecraft』と『画ニメ H・P・ラヴクラフトのダニッチ・ホラー その他の物語』が届きました。
前者は先日リリースされたもの、後者は数ヶ月前にリリースされたものの、まあいいかで今日に至ったもの。

『Case of~』は既見なので、リージョンと字幕の確認のみ。
ネット上ではリージョン1でしたが、この手の(どの手だ?)DVDにありがちなオールリージョン。
字幕はフランス語と英語が選択できるにもかかわらず、劇中のクレジットにちょこっと字幕が出たりしますが、肝心な音声に字幕はつけられていません。
なので、がんばってヒアリングしましょう~。
私はからっきしなんで、雰囲気だけ楽しみます(笑)
ちなみに、音声はフランス語と英語の両方がつけられています。

『ダニッチ・ホラーその他の物語』は、珍しい国産の人形劇3部作。
まずは3作通していえることは、人形の造形が不気味すぎて、怪物や物語そのものの不気味さが少々スポイルされているように感じます。
最初に目にする「普通の人」があまりに不気味なので、たとえばヨグ=ソトースなんかどんな造形なんだろうと期待させられるのですが、こりゃ老ウェイトリーの方がよっぽど気色悪いやってことになったりするのが惜しい。
短編ながら話はよくできているので、普通と異常のメリハリがほしかったですね。

『家の中の絵』は、ミッキー・カーチスの語りが軽妙な落語のよう。
とはいえ、圓朝の怪談ほどの恐怖感は感じられないのでオチも弱いかな。

『ダンウィッチの怪』は、けだるげなカントリー調の劇判がピンとこなかったのと、クライマックスの呪文大会に緊張感が感じられなかったかな。
ただし、物語そのものは変に脚色することなく、よくできているので、傑作の原作をさくっと楽しむには十分。

『フェスティヴァル』は、なんで邦題としてはよく知られた『魔宴』じゃないんだろうと思いましたが、ああ確かに魔宴じゃぁないや。
割と簡単な話の骨格にややこしい肉付けした原作を、要約したけど最後まで収まりきらなかったらこうなりましたってところかな。
もっとも、前2作とは異なりセリフが極端に少ないため、想像力をかき立てられる不可解さになっているのがよろしいかと。
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by cthulhu_dune | 2007-10-31 23:28 | 映画・映像
2007年 10月 20日
澤登翠35周年記念上映会
当代随一の活弁士、澤登翠さんは、今年で弁士35周年。
幼少5歳のみぎりより始めて…といういつものジョークで幕を開ける、記念上映会に行ってきました。
学士会館の会場も、さすがに満員御礼。
何となく座席中央に席を取ってみたら、人人人の頭でスクリーンが半分ほども見えないほど。
まあ、『東京行進曲』は映像を思い出しつつ、他2作品はぐっと首を縮め隙間から覗くことでなんとかしのぎましたが、澤登師匠の豊かな活弁と、カラード・モノトーンの叙情的な劇伴のおかげで、たとえスクリーンがまったく見えなくなってしまっても楽しむことができました。

一本目は、よく知られた『東京行進曲』ですが、澤登師匠の弁は初めての私。
斎藤裕子嬢の弁を耳にしていたので、何とはなしに聞き比べてしまいます。
ここで上手下手を語るのは、訳知り顔の野暮天というもの、同じフィルムでありながら、どんな雰囲気になるのかを感じましょう。
本編の往時を知るよしもない私いや私たちに、作品を通じて優しく語って聞かせつつ、その当時へと誘うのが、澤登師匠の語り口。
冒頭で郷愁を誘う、『東京行進曲』主題歌の一節を歌われたことで、会場は一気に昭和4年。
澤登師匠の懐の深さ、包容力の大きさを、強く温かく感じる瞬間は、いつにもまして心地よいものでした。

活弁の母…。

長い活弁の歴史の中で、このフレーズが正しいのかどうかは寡聞にして存じませんが、テレビ世代の私にとって、澤登師匠はまさに『活弁の母』なのです。
ちなみに、斎藤嬢をこれになぞらえるなら『活弁姐さん』ってそのまんまか(笑)

続きましては、『モダン怪談100,000,000円』
ほら、そこで一十百千…と数えたあなた、普通そうですよね。
これを見て一億円なんてすぱっといえる人が、そう多いとは思えません。
というのはどうでもよくって、本作はちょっとした国定忠治のパロディーも愉快なドタバタ喜劇。
これに付けられたアドリブだらけの活弁も、愉快ゝ。
監督の斎藤寅次郎は、流行り物のパロディーが得意だったそうなので、フィルムが残っているのなら小特集なんか組んでいただけると、嬉しいですねぇ。

トリの作品は、『真紅の文字』
澤登師匠が光と影の映像美を強調されたとおり、モノクロームのトーンはどことなく黄金期のドイツ映画を彷彿とさせられます。
この、リリアン・ギッシュの「いい話」に登場する、ロジャー氏。
髪も髭も伸び放題の相貌が、『悪魔スヴェンガリ』のジョン・バリモアにそっくり!
惜しむらくは、本作で重要な意味をしめる役ながら、もうひとつ活躍に乏しいところ。
あらすじはネット検索すればわかると思うので割愛しますが、不貞を攻められる針子へスターと、彼女への許されぬ愛と聖職との間に苦悩する牧師アーサー。
この二人が厳しい戒律に縛られた村を出て遠い異国へと決意したその日に現れたのが、実はへスターと重要な関係を持つロジャー。
このロジャーが二人に復讐をするといいつつも、病に倒れたへスターの娘を治療したりして、なんだかいい人。
この緊張と珍妙をはらんだ関係が物語の終盤も終盤のみなので、もっとたくさん描かれていると、よかったなぁ。

おっと、活弁と劇伴は、まさに映画と三位一体渾然一体。
特筆すべきはこの雰囲気としかいえぬほど、会場を満たし五感を満たされたこの空気、私ごときには筆舌に尽くしがたい物でした。

そんなこんなで、数日前に思い立って予約を入れたこの記念上映会でしたが、足を運んでおいてよかったよかった。
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by cthulhu_dune | 2007-10-20 21:20 | 映画・映像
2007年 10月 15日
活動大写真in品川宿異聞
すっきりしない空模様に、薄ら寒い日曜日の昼下がり。
えっちらおっちらと行って来ました、キネマ・コラボレーション品川の宿は台場小学校。
せっかくなので昼飯は品川でと思ったのが、運の尽き。
肝心要の商店街は、軒並みお休み閑散通り。
宿場街道では日本そばだろうという目論見は露と消え、コンビニで調達した握り飯にパンで空腹をいやしつつ、開場を待つのでありました。

扉が開いた体育館には、小学校の記念行事のわりには子供達の姿も少なく、別のイベントとかち合ったそうで、少々寂しい客入りなのが残念。
来賓のあいさつも、何ともむなしく体育館に響きます。
とはいえ、上映が始まってしまえばそんな雰囲気はどこかに吹き飛び、走り回っていた子供達もスクリーンに釘付け。

何しろ第一演目が「血煙高田の馬場」。
ぐず安こと中山(堀部)安兵衛が1里半をひたすら走るだけの超短編ですから、大人も子供もただただ呆気にとられるだけ。
なんだなんだ、どうしたどうしたと思っているうちに、終幕となってしまうぐらいですからね。
いつもなら軽快な三味線の音色が響き渡る活弁なんですが、今回はキネコラなので生ピアノ。
三沢さんがどんな曲を付けてくるのかと興味津々だったわけですが、時代劇らしからぬ曲調でありながら、かけずり回る安部衛と実にマッチした響き。
オリジナル曲の醍醐味を、のっけから存分に味合わせてくれますね〜。

ところで、スピーカーの音がこもっている上にエコーしてしまい、まくし立てる活弁になると、聞き取りづらいのが実に惜しい。
しかし、ピアノはきれいに聞こえるのが、せめてもの救いでした。

続いての「のらくろ伍長」は、簡素な線画のアニメーション。
戦争漫画ではありますが、本作は連隊の休日にのらくろの手柄話を交えた、ほのぼのとした作品。
アニメとしては派手さがないので、子供達の反応もいまいちだったのかな。
だからといって飽きて騒ぎはじめるわけでもなく、ひたすらスクリーンに見入っていたのが印象的。

ラストの「ロイドの要心無用」は、問答無用のスラップスティックコメディー。
ロイド眼鏡にカンカン帽、毎度おなじみハロルド・ロイド君が、さえない店員の奇妙な大活躍を見せてくれます。
圧巻は、ハラハラドキドキのデパートの壁のぼり。
この頃のこの手の身体を張ったアクションは、どんなに時を経ても驚くばかり。
大人達は固唾を呑み、子供達は悲鳴をあげて、ロイド君を見守ります。
もちろん、ちょいとモダンな活弁も、かなりスイングの劇伴もノリノリ。
長編大作のキネコラもいいけれど、こんな小粋な短編集もまたたまりませんなぁ。
あー、今は無き喜劇小劇場シリーズ、斎藤・三沢のコンビで復活!なんてことができたら夢のようですわい。

ありがちな映画の上映会とはひと味もふた味も違うので、返す返すも客足の少なさが残念。
いっそのこと、ゆとり教育で空いた土曜日に組み込んで、もっと多くの子供達に見て欲しかったですね。
「ロイドのマネをしてケガでもしたら大変」なんてぇ声が聞こえてきそうですが、危険は避けつつとも学ばせることが重要ですぞ。

さて、上映後ははからずも打ち上げにお招きいただき、感謝感激雨あられ。
カミさんは残念ながら締め切りがあって同席できませんでしたが、私めといえば、久々にKAZさんとお会いしたこともあり、映画その他の話にテンションがあがりまくり、盃も進んで忘我の極みとなってしまいましたとさ。
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by cthulhu_dune | 2007-10-15 20:55 | 映画・映像
2007年 09月 18日
サブちゃんのジャンゴ♪
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「マカロニウエスタン・ジャンゴ」を観た翌日、思わず北島三郎の「ジャンゴ〜さすらい〜」を探しに行ってしまった…。
ウエスタンに合うのはカントリー、チャンバラに合うのは演歌民謡。
ドンパチは欧米の時代劇、チャンパラは日本の時代劇。
同じ時代劇なら、ウエスタンに演歌が合ったっていいじゃぁないか。
などという奇天烈な三段論法は抜きにして、サブちゃんのジャンゴが妙に心に響くお年頃なのであった。

あ、肝心の本編は、源平の合戦のその後のその後のそのまたその後のコメディーマカロニ時代劇。
オリジナルの「続・荒野の用心棒」ほどの無情な緊張感もなく、凄惨な嫌悪感もないけど、よくできたドラマになっています。
桃ちゃんと塩見のおっちゃんが、いいところをかっさらっていくのがグー(笑)
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by cthulhu_dune | 2007-09-18 15:15 | 映画・映像
2007年 09月 13日
Case of Howard Phillips Lovecraft(1998)
フランスで制作されたH.P.ラヴクラフトのドキュメンタリー、「Case of Howard Phillips Lovecraft」が、カナダでDVDリリースされます。
というニュースが、9月12日付でunfilmableに載りました。
これだけではたいしたニュースじゃないんですが、これがなんとアマゾンジャパンでオーダーできるんですねぇ。
USアマゾンでは出来ないのに、ってあたりがへんてこりんなニュースなのでした。
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by cthulhu_dune | 2007-09-13 16:32 | 映画・映像
2007年 08月 26日
『ドクトル・マブゼ』第2部
活弁IN学資会座『ドクトル・マブゼ』《第二部・現代人の賭博・地獄》を鑑賞。

催眠術と奇策を弄し、人心を攪乱し市場を混乱に陥れ、己が欲望をほしいままにしていたマブゼ博士。
しかし、手中に収めたにもかかわらず、彼の意のままにならぬトルド伯爵夫人に、その意をねじ曲げられたか否か。
手段が目的へと転じられ、人心を自由に操らんとすることに、心血を注ぐようになってしまう。
だがそれは、マブゼ自身を狂気の結末へと導く火線に、消せぬ炎を着けてしまうことになった。

というその結末、マブゼの幻覚は、映像だけ見ているとなかなか愉快なのですが、ここに付けられた澤登さんの活弁は実に暗鬱で重厚。
それはまるで、マブゼの末路を悲しみ儚んでいるかのようであり、マブゼへの思い入れを絞り出すかのよう。
第二部の冒頭から、フィルムと活弁が第一部以上に渾然一体であると感じられたのは、きっとこの結末があったからだと思う。

第一部を拝見し、どうにもわからなかったこの物語が、まるで光が道を照らすがごとく脳内に広がったと思われたのだが、第二部が進むにつれてその重みさえも感じるようになってゆく。
これこそが澤登活弁のなせるわざであり、観客にとっての快楽、単にストーリーを追っているだけでは味わえない快感に違いない。

そして、稀代の怪人にして悪党を追悼する言葉は、"Tsi - Nan - Fu!"。
この呪文を口ずさみつつ、さらに愉快なひとときへの扉が開かれ、会場をあとにするのであった(笑)
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by cthulhu_dune | 2007-08-26 02:04 | 映画・映像
2007年 08月 10日
澤登翠一門会『世界の心』
京の敵を江戸、いや駿河あたりで討つほどに流れてしまいましたが、去る7月30日、澤登翠一門会『世界の心』を鑑賞してきました。

第1部は、澤登さんの前時代的な大げさな芝居もユニークな、活弁の歴史講釈。
片岡さんの活弁レコードコレクションから名調子抜粋もあり、劇場や地域による口調の違いを楽しみます。
私の好みは、あまり芝居がかっていない七五調、あるいはそれに近いものかな。
さみだれのように一節の長い語りは、自分の呼吸と合わないと調子も合わず、右の耳から左の耳へと抜け流れてしまいますので。

第2部は、グリフィスの『世界の心』リレー活弁。
1番手は、言葉の端々に小ネタを盛り込む片岡さん。
やっぱり小ネタで笑わせますが、作品の導入部は結構コミカルなので妙にマッチしています。
解説でも活弁でも、息継ぎの間を長くとってしまうクセがあるのか、一節の最後に息苦しさを感じることがありますね。
観ているこちらも呼吸のタイミングがずれてしまうので、ちょっと残念なところ。

2番手は桜井さんだったかな。
確か斎藤さんが物語の区切りをつとめたと思うので、桜井さんだと思う…。
こりゃ脳みそがカビとるな。
『眠るパリ』が説明調だったのでどうなるかなと思ったのですが、本作ではオヤジの台詞もなかなか見事な活弁。
ちょっと無機的で、滑舌が良く張りのある声は、私の耳にはどうしてもアナウンサー口調として入ってきますが、このあたりは先入観の問題。
ですが、どうしてもスクリーンの脇で語っているというイメージは払拭できません。

3番手は斎藤さん…のはず…、間違っていたらごめんなさい。
斎藤さんと澤登師匠の調子は何度か記しているので割愛するとして、本作で斎藤さんのはまり役は、ドロシー・ギッシュ。
役名もずばり「お転婆娘」のドロシーと斎藤さん、おきゃんというかはすっぱなところが、何とも似通っています。
いずれ、ドロシー・ギッシュの作品を存分に演じて欲しいですね。
そして、言葉少なにじっくりと間をとった、戦争へのカウントダウン。
いやがおうにも、不安を駆り立てられました。

トリをつとめるのは澤登師匠。
本作は大戦へのアメリカ参戦を促すプロパガンダであるため、実戦のさなかに撮影するといった強烈なカットの見え隠れする終盤。
それもあってか、いたずらに悲劇を強調することなく、ひたすらに重厚な弁を振るう澤登師匠。
それがかえって、救出物に長けたグリフィスの作品だとわかっていながらも、実は助からないんじゃないかとドキドキしてしまいます。
締め括りは、ハッピーエンドへの安堵ではなく、手短ながら重みのある戦争非難。
本作誕生の意図をひっくり返すことが出来るのも、弁士の担うところであると感じた次第です。

※訂正
リレー活弁の順番、正しくは2番手斎藤さん、3番手桜井さんでした。
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by cthulhu_dune | 2007-08-10 17:17 | 映画・映像
2007年 06月 27日
『ドクトル・マブゼ』第1部
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6月21日、学士会館に於いて、澤登翠師匠の活弁公演。

ドイツ表現主義時代の映画のひとつとしても、知名度の高い1922年版のマブゼ君。
怪奇なのか犯罪なのか今ひとつわからないながらも、フリッツ・ラングの名前に惹かれてビデオを輸入した作品。
ところが、興味津々で見始めたのはいいものの、意外なほど少ない英語字幕は読むのも必死ながら、意外なほど物語が把握できないというもどかしさ。
マブゼ君の手下の多さほどに主要人物は多くはないものの、マブゼ君の多彩な変装も相まって、人物相関はおろか、どれが誰やら混乱してしまう始末。
そして、頭が混乱すれば睡魔が訪れるのは自然の摂理。
まるでマブゼ君の催眠術に堕ちるがごとく、知らぬ間に座椅子の背もたれを倒してしまうのでありました。

そんなわけで、とぎれとぎれながらも全編は見ているのですが、何しろ1部と2部を合わせて4時間に手が届こうかという長さ。
記憶にとどまっているのは、爛々と輝くマブゼ君の目玉に、みんなでテーブルを囲んでいるシーン、壊れたマブゼ君の奇怪な幻覚ぐらいとお粗末なもの。
今回の活弁公演は、この作品を理解するための重要な機会となるのであります。

とまあ長い前口上はいつものことながら、社のある京橋から神保町の学士会館までは、地下鉄で2駅乗り換え1回。
これはすぐに着けるかなと思いきや、歩く距離の長いこと長いこと。
おかげで上映開始に間に合わず、貴重な冒頭部分を見逃してしまいました。

さてさて、肝心のマブゼ君は、心理学に長けた催眠術師にして詐欺師。
人の遠隔操作なんかしちゃって、それはテレパシーではないかいな、なんてこともやってのける怪人物。
そして彼の一番の芸当は、メイクのシーンや活弁がなければ、それがマブゼ君だとわからなくなってしまうこともあるほどの、見事な変装。
ただし、彼の目的にして唯一の楽しみである犯罪は、単なる物欲や征服欲ではなかった。
人を、社会を、その手で操ることこそが、マブゼ君にとって至上の快楽。
今日も高名な紳士や老人になりすまし、株式市場や有閑金持ちを騙し眠らせ陥れては、途方もない金品を巻き上げるのである。

そんなところへ現れた御曹司エドガー・フルは、彼にとっては恰好のカモ。
マブゼ君の催眠術に操られた彼は、カード賭博で莫大な借金を抱え込んでしまうが、そこはそれ金持ちの息子。
凝りもせずにせっせと怪しげな遊び場へと足を運んでくれなきゃ、物語が進まない。
そんなフル君をさらなる深みへ落とし込まんとする、マブゼ君の部下にして愛人のカラ・カロッツァ、明晰な頭脳と強靱な精神でマブゼ君を追い込まんとするフォン・ヴェンク検事に、知性と美貌を兼ね備えたトルド伯爵夫人を交え、一大捕り物絵巻が展開されるのであった。

しかし、今回は第1部のみの公演。
トルド伯爵夫人危うし!魔の手に落ちた夫人の運命やいかに!…で次回8月公演に続くのでありました。

澤登師匠の活弁は、私にとって実にわかりにくかったこの物語を、これほどまでに理解させてくれる見事なもの。
しかも、その情報量の多さであるにもかかわらず、無味乾燥な説明調になることなど微塵ありません。
これもひとえに、作品への深い理解と、観客への深い愛情のなせるわざ。
このあたりは、上映後のトークタイムで存分に語られています。
マブゼ君となって客席をもその術中に誘わんとする澤登師匠は、まさしく活動写真そのものとなって語りかけてくるのですなぁ。
幻想主義映画独特ともいえる、不安定な直線で形作られたセットも相まって、我々はいともたやすくその術中に堕ちてしまうのでありました。
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by cthulhu_dune | 2007-06-27 14:23 | 映画・映像