カテゴリ:映画・映像( 53 )

2007年 06月 01日
無声映画に見るパリの情景!
無声映画に見るパリの情景!『眠るパリ』『パッション』
5月30日 門仲天井ホール

輸入ビデオは持っているけど、全くの無音のためこちらが眠ってしまうばかりの『眠るパリ』。
そんな経緯もあって、音楽どころか活弁がついているとあっては、かなり食指を動かされます。
それに、ルネ・クレールの実験的なこの初作はSFとしてもユニークなものなので、足を運んで置いてもいいかなと思った次第。
桜井麻美嬢の活弁はといえば、以前耳にしていたとおりの淡々とした解説みたいな感じ。
エッフェル塔の解説などはストーリーに絡めることもなく、この場面に挟んじゃ興ざめじゃないかい?といった具合。
残念ながらフィルムにも活弁にも意識がいかなかった部分がありますが、これが桜井嬢のスタンスならば致し方ないところ。
もっとも、耳が慣れてしまったこともあり、止まった時間に疲れ果ててしまう人々とは裏腹に、私自身は疲れてしまうことはなかった。
まあそれはさておき、音楽と活弁のついた『眠るパリ』は、やっぱりおもしろい。
ついでに、クルーズ博士の姪、いかにもアールデコを象徴する職業婦人といった装いのニースが、かわいい(笑)
演じるはマイラ・セラーなんだけど、調べてみたらこれともう一作しか出演記録に当たらなかった。

『パッション』は、実はまったく目当てとしてはいなかった。
これ、ヒロインであるジャンヌがあまりに非道だし、フランス革命をやりたかったせいか終盤のあまりの駆け足に、見ているこちらがヘトヘトになるから、あんまり好きな作品じゃないから。
ジャンヌがベルサイユを追放されたところでうまく幕を閉じておくのがいいと思うんだけど、それじゃ非道ぶりを洗い流すには不足なんだよなぁ。
まあ、私の頭の中ではメフィストに固定されてしまったエミール・ヤニングス、やっぱりここでも怪演ぶりを遺憾なく発揮しているのがたまらない。
そして、以前見たときに「デュバリエ伯爵って、見得を切ったときの加トちゃんに似ているなぁ」と思ったのを、再確認したのでありました。
余談ながら…これが余談かいっ…、澤登師匠の活弁はやっぱりおもしろい。
ほとんど間のない複数人の掛け合いを、見事に演じ分けてしまうのは圧巻の一言。

そういえば、斎藤裕子さんにお会いしたのに「にゃんころがしムービー」を見せびらかすのを忘れたのでした(笑)
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by cthulhu_dune | 2007-06-01 16:56 | 映画・映像
2007年 06月 01日
キネマ・コラボレーション『オペラの怪人』
キネマ・コラボレーション『オペラの怪人』
5月6日 東京芸術劇場

ひと月前の記憶をたどりつつ書いているので、おかしな点があってもご容赦を。

なりたての喘息を薬で抑えつつ、雨降りの池袋へ。
蛇の道をゆくは蛇、怪奇幻想の道をゆくは怪人、普段お世話になっている方をお誘いしての『オペラの怪人』。
フィルムはもちろん1925年ロン・チャニー版、これに活弁と生演奏とあっては、古典怪奇幻想映画好きの目に留めておかなければなりますまい。
弁士は、まさしくオペラ座に集う貴婦人のごとき装いの斎藤裕子氏。
ピアノは、菜の花のごときドレスをまとった三沢治美嬢…あのひと美人だねーとは同席した女性たちの声(笑)…。
歌劇の殿堂たるオペラ座を舞台にしたこの無声映画、いかように語り奏でるのか楽しみ楽しみ。

三沢嬢オリジナルの劇伴は、喜怒哀楽にコメディーシリアス、スクリーンよりも出過ぎず引き過ぎず、雰囲気たっぷりの楽曲が弾かれます。
曲調は、私の耳にはクラシックとジャズの融合した、いわばフュージョンといったおもむきかな。
さて、出色は『ファウスト』のソロのシーン、ここで三沢嬢はスキャットという見事な演出をやってのけます。
しかしそこは劇伴、役者を変えて2度あるこのシーンを、まったく同じ抑揚で奏でることで、歌ではなく劇伴としての妙となっているのです、
これ、もしもカルロッタとクリスティーナで変えてしまっていたら、歌っているのか思わせられるところ。
それではアフレコになってしまい、劇伴とは異なるものになってしまいます。
歌劇のシーンをどのように魅せるのか、私にとっての大きな楽しみは、かくのごとき見事な演出でありました。
ところで、ほんの少しだけ有名すぎるウェバー版を取り入れているように聞こえましたが、それはほんとにわずかなパートだけ。
それも、冒頭と終盤だけじゃなかったかな。

さて、もう一翼を担うというか、こちらがメインといえばメインの、活弁。
斎藤嬢の特徴たる、スクリーンの中から語りかける名調子は、もちろん健在。
ヒロインの悲哀に、鬼気迫る女性の悲鳴にかけても、銀幕と弁士、どちらに目をやろうか迷ってしまうほどの動きは、毎度ながらユニークで秀逸。
あまり大きな動きのない活弁士ですが、斎藤嬢はけっこう動いているのです。
ゆえに、弁士とスクリーンの両方が、あまり視線を動かさずに見られるような席を取るとよろしいかと。
余談はさておき、今回もヒロインの見事さ…は、意地が悪いようだけど実は当たり前。
だって、主役の演出がヘタッピだったら、もう目も当てられませんもの。
なので、安心して脇役の所行に目をやれるのも、さらなる楽しみ。
中でもささやかなコメディーリリーフのひとりである、カルロッタの母ちゃん、何とも生き生きと嬉々としていることか。
実は、本作でけっこう好きな役どころが、この娘一筋のバカ親。
もっとも、チャニー版『オペラの怪人』は、今の目から見ればコミカルなシーンが多いので、ふつうに見ていても笑えてしまうんですけどね。
メインキャストを大きくいじるのは好ましくないでしょうが、脇役や端役にちょっとした演出を加えることで、活気溢れる臨場感もさることながら、主役たちも引きたれられているのですなぁ。
もちろん、怪人エリックも言うに及ばず、ですぞ。

公演後、気分が体調を上回ってしまったので、お食事とおちゃけに同席した私は、翌日喘息の症状が悪化して果ててしまったのでありましたとさ。
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by cthulhu_dune | 2007-06-01 16:55 | 映画・映像
2007年 03月 26日
砂漠の貴公子とワンダーワールドの怪獣
3月23日午後6時半…
魅惑の俳優、ルドルフ・ヴァレンチノの「シーク」&「熱砂の舞」。
方や斎藤裕子さん、方や澤登翠さんによる活弁上映。

斎藤さん自身が「青い」と評した「シーク」。
数奇な運命の中、アラビアの地ででたくましく育った、若き獅子の物語。
なるほど、荒削りで勢いに任せた展開は、確かにヴァレンチノ自身の若さと相まって、青い。
美男ではあるが少々肉付きに欠けるヴァレンチノは、ひたすらに先を急がんとして見える。

「シーク」から5年後の制作であり後日談ともなる、「熱砂の舞」。
前作で大団円を迎えた獅子の、息子の冒険活劇。
さすがに制作もヴァレンチノもはるかに成長、成熟し、緩急をわきまえた冒険活劇となっている。
親子二役を演じたヴァレンチノ、その二の腕のたくましさには、前作の青白さをみじんも感じさせない。

とまあ、連作の面白さを堪能できたこともさることながら、斎藤さんと澤登師匠の雰囲気の違いが、両作品にそれとなく合っていたこともユニーク。
斎藤さんはフィルムの中に入り込み、役者たちの中に紛れて劇中から弁を振るうイメージ。
ナレーションとは異なるが、それに近い感じ、といったらわかるだろうか。
澤登師匠はさすが名人なのだが、自身の中にフィルムを取り込み、全てを噛み砕き消化した上でスクリーンに映し出す。
これは、母が子に聞かせるお話といったところだろう。
この違いはもちろん、どちらがいい悪い、優れている劣っているというものではない。
このスタンスの違いこそが、活弁の楽しみなのだろうなぁと、若輩者は思うのである。
しかして、同日深夜には「菊地秀行トークライブ」、ご挨拶もそこそこにすっ飛んでかえったのであった〜たたんたん。

3月23日24時…
「菊地秀行トークライブ あっちこっちの怪獣」
作家として25周年を迎えたお祝いに、裏事情に精通した面々の覆面を迎えた座談会を経て、本編へ。

ミスターBIGことバート・I・ゴードンの「キング・ダイナソー」はまあ、いつもの裏山とセットで作ることになる爬虫類の大げんかの大元となる作品。
いろんな意味でワニやトカゲがやばくなると、嫌がらせの神の手がさしのべられてしまうのだ。
「プルガサリ」は、出来はそこそこいいのに踏んだり蹴ったりのよく知られた近作。
あまりにどうでもいいからとプルコギと間違えてしまうかもしれない(実例に遭遇した!)。
「ヤンガリー」も知っている人は知っているくらいには知られているけど、あまりにあまりのようなので実は未見の近作。
原題の「レプティリアン」だけ聞くと、「冷凍凶獣レプティリカス」を思い出してしまうのだが、どっちもどっち。
「惑星大怪獣ネガドン」は古典的怪獣路線を狙ったフルCG作品。
元祖ゴジラ以外の和製SF&怪獣映画が好きな口には、そこそこ美味しく感じることだろう。
で、何が面白いって、怪獣の進行方向に「狛江市」があることだが、それこそ知っている人にしかウケないけどあまり公にできるネタじゃないのでごめんちゃい。
ラストは「グエムル」。
もう、グエー!ムルー!ってな、うなぎ犬と人食いウナギを足して天井からぶら下げたような近作だよね、ね?
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by cthulhu_dune | 2007-03-26 17:03 | 映画・映像